猪風来 IFURAI
直感

直感を信じ己を貫き通すことで辿り着ける境地

人類最古級の土の器といわれる縄文土器の造形美を
現代に蘇らせた縄文造形家・猪風来(いふうらい)氏。
絶望の淵で縄文土器と出会い、雪深い山奥の竪穴式住居で暮らし、縄文式野焼きを再現し、
命の器を作り続ける男の壮絶な人生。

生死再生の器

 1万6千年前に生まれた縄文土器。この人類最古級といわれる土器づくりを担っていたのは、おもに女性だった。なぜ女性だったのか。その鍵は、縄文時代の女性原理思考にあると縄文造形家の第一人者・猪風来(いふうらい)は語る。

「現代は文明を前提とした人間中心主義です。対して、縄文は大自然の生命波動に共振する心。その心からすべてが生まれています。地球、大地、大自然から発せられるあらゆる生命の波動を認識し、理解することではじめて作動する縄文の心がある。それがいわば女性原理思考の真髄と考えられます」

 大自然が放つ生命波動とは一体何か。女性原理思考の造形とは。それは縄文土器の歩みから紐解くことができる。

「東京の町田市で出土した底が丸みを帯びかつ尖った尖底土器(せんていどき)は、縄文草創期に作られました。草創期から早期までは、このような底の尖った土器が目立ちます。その後、前期から徐々に底が平らになりますが、技術的には平底よりも丸底、さらに尖った底の方がはるかに難しい。土の造形力学を熟知していないと作ることは到底できません」

 なぜ草創期の土器の多くが尖った底をしていたのか。猪風来は2つの仮説をあげる。1つは縄文の前史の存在だ。これはいまだ研究過程にあり可能性は否定できない。そして、もう1つの仮説が、最も難しい技術から出発しなければならない理由の存在だ。

「考古学的には、尖底土器は山菜や獲物などの食料を入れていた編みかごがモデルといわれています。いわゆる縄文ポシェットです。しかし私はモデルはもう1つあると見ています。町田市で出土した尖底土器は厚みが4、5ミリ程度と非常に薄く、小刻みに揺れる隆帯文様が刻まれている。女性原理思考から紐解くとその姿形から胎盤だと直感的に感じました」

猪風来作 「ウフィカムィ(火神)」長430cm

 猪風来は四男を授かった際、後産で胎盤を手に取り広げて自らの眼で見た。大胆な推論だが、縄文ポシェットは大地の恵みを入れる袋、人間の胎盤も胎児が入っていた袋、ともに根源的な「命の入れ物」といえる。くわえて同じ尖底土器には胎盤型の他にも乳房型と見ることのできる土器も多くある。

 学術的には、縄文土器の恩恵を強く受けていたのは赤子であったという説が有力だ。旧石器時代は衛生面などの問題もあり、赤子が上手く育たないケースが多くあった。煮炊きのできる縄文土器が発明されたことで、赤子の発育状況は大きく改善されていった。

「縄文は万物を生命体と捉えていました。母なる大地も生命体。土器をつくる粘土は、いわば大地の肉です。その肉を人間がいただき作ったのが土器。そして赤子の食料を胎盤と乳房に見立てた器に入れて食べさせて育てたと考えています」

 女性原理思考ならではの物語ができあがる。では縄文土器に施される文様は何を意味しているのか。

「縄と勾玉。縄文土器は、この2つの文様ですべてデザインされています。勾玉とは何か。諸説ありますが、胎芽(たいが)説が一番理にかなっています。胎児以前の手も足もない段階である胎芽は、すべての生命が同じ形をしています。つまり勾玉は“命の根源の形”。その勾玉で、大地の肉に命のパワーを入魂する。野焼きで命を吹き込まれた土器は一つの生命体となる。勾玉と縄の文様は、その新しい命を守る根源の形が造形されていることを意味しています」

 大地の恵みをいただく時、命に対して尊厳を持たなければならない。それは自らの腹を痛め、命を産み落とすことを知る女性の祈り。ゆえに土器の作者は女性だった。縄文土器は、大自然のなかで命の波動と共振することで生まれた。だから「ただの鍋をつくった」わけではないと猪風来は続ける。

「道具をつくるだけならば、複雑な文様もましてや物語など必要ありません。弥生時代には土器は道具への転換が行われました。命への尊厳を消し去ったのです。対して、縄文は“入魂文様”。大地の恵みである万物の命を煮て食しますが、その魂をあの世に送りかえして、もう一度母なる大地に再生させてほしい。再びこの世に豊穣が溢れるようにという祈りの造形。いわば生死再生の器なのです」

 命の器だからこそ、技術的に難しくとも底の尖った尖底土器からはじめなければならなかった。ただの道具ではないからこそ、命への尊厳と豊穣への祈りを込めた物語が生まれたのだ。

では、なぜ縄文時代の人たちは、命の物語を紡ぐことができたのか。そしてなぜ猪風来は縄文の真髄を解明するにいたったのか。そこには猪風来が縄文と向き合い続けた壮絶な人生があった。

猪風来作 「土夢華・宇宙創生」h80cm(Photo左)「土夢華・渦の花」h65cm(Photo右)

絶望の淵で出会った縄文の心

 猪風来は、1947年、広島県福山市に生まれた。子どもの頃から絵を描くことが好きで、美術大学の油絵学科に進学。西洋画に夢中になった。卒業後は油絵で身を立てようと考えた。だが、思うようにはいかなかった。

「下手くそで食えない画家でした。結局、絵の道は歩めない。創作的絶望状態に陥っていました」

 挫折し絶望する青年時代の猪風来は、あるとき縄文土器の欠片を拾う。当時住んでいた千葉県成田市は古代遺跡の埋蔵文化財破壊が問題となっていて、畑の境を歩けば土器片がごろごろ転がっていた。

「自宅で眺めていたら、不思議な興奮が湧き上がってきました。この感動は何だ。理由はわからない。でも何かある。その根拠を知るために、土器づくりをはじめました」

 27歳頃のことです。知識も経験もなく、縄文土器の復元はうまくいかなかった。そこで千葉県にある加曽利貝塚博物館の土器づくり同好会に参加し、基礎から学んでいった。コツをつかむとみるみる上達し、作品は大手出版社の広告キャンペーンに抜擢されるまでになる。絶望を乗り越え、新進気鋭の芸術家としての明るい未来が切り開かれるかに思えた。しかし、突如、北海道の山奥へと移住する。

「縄文土器を復元しても、感動の根拠は何もつかめないまま。作るほど自分が偽物だと気づかされるだけ。縄文人たちは大自然のなかで土器を生み出していました。本物の縄文土器を作るには、彼らと同じ暮らしをしなければと思ったんです」

 全国を廻り、たどり着いたのが北海道石狩市の最北端に位置する浜益村だった。

「夕日に金色に輝く黄金山と険しく自然豊かなところが気に入った」という土地は、偶然にもアイヌ民族の聖地だった。それから約20年、現代文明を極力拒絶した、自給自足の生活を送ることになった。

 浜益村は冬ともなれば根雪が3メートルにもなり、「殺される」と震え上がるほどの吹雪が襲いかかる。そこで自力で家を建て、土地を開墾し食べる米や野菜を作った。四男を自宅分娩し、自らの手で取り上げた。胎盤を手に取り広げたのもこの時だ。移住5年目には、切り出してきた木を組み合わせ、地面を1メートルほど掘り下げ、竪穴式住居を建て、生活する。

「零下20度の冬を越して春を迎え、穴居の炉端から見る地面は、目線より上にありました。草木も虫も獣も地上のすべての生き物が頭上に存在する。万物を仰ぎ見る位置にある。人は目線よりも上にあるものに対して、敬意を払う生き物なのでしょう。大地とともに人はあり、森羅万象すべてが尊いという縄文の感覚がストンと腑に落ちました」 “縄文視座”と名付けた感覚を手に入れ、縄文造形家・猪風来が誕生した。

村上原野作 「四方山の木霊(よもやまのこだま)」部分(Photo左)「草木と風霊の交歓(そうもくとふうれいのこうかん)」部分(Photo右)

強制は悲劇を生む

 猪風来の縄文土器は窯を使わない。すべて縄文式野焼きで焼かれる。

「弥生時代以降、特に古墳時代から使われはじめた窯は、人が焼くことをコントロールするために作られました。一方、野焼きは“野”の“炉”。雨が降れば中止。太陽が沈んだらおしまい。大地が乾燥しなければできず、太陽や風、自然の力を借りて焼く。コントロールできない領域。ただただ自然のリズムに従うことをもってなし遂げる焼き方です」

 焼いているのはあくまでも火だ。人間ではない。だが、文明の利器は、自分の力を錯覚させてしまう。「私が土器を焼いた」という言葉すら、人間の傲慢さのあらわれだともいう。

「山間から水蒸気が立ち上り雲になる様は肉眼で見ることができますが、肉眼では見えない領域がある。例えば気圧は科学の力で可視化しなければ、見ることはできません。しかし縄文の人たちは、科学の目の代わりに心や霊的な領域で感じていたはずです。それが“人間中心”の現代とは異なる、“自然中心”の世界です」

 縄文人は万物を仰ぎ見ることで、猪風来が縄文視座と呼ぶ肉眼以外の視野を持っていた。しかし弥生時代の高床式住居に始まり、私たちは時代とともに生活拠点を高くし大地から離れていった。いまや万物を仰ぎ見るどころか、見下ろすようになった。文明は驚異的に発達したが、引き換えに縄文の人々が持っていたとされる自然から何かを感じ取る能力は退化してしまった。

 縄文の狩猟採集時代が終わり、農耕牧畜時代が到来した弥生以降は、いわば征服の時代だ。人々は母なる大地をコントロールしようとするようになった。五穀を生産しようと思えば、その土地を支配することになる。種を選別し限られた命しか産み出せないようにする。やがて効率的な生産を目指し、維持しようとする。その土地を他の人間に奪われないように領地として守りはじめる。そして支配しコントロールする技術が次々と生み出されては、奪い合い、争い合うことを繰り返していく。万物を生命体と捉え尊厳を持って接していた縄文視座とは対極の、いわば自然を征服し我が物としようとする精神だ。その結果はどうだろう。人口は爆発的に増加し、資源は枯渇し、環境破壊は止まらない。争いは絶えない。その現実の問題を誰もが理解しているが、どうすればいいのかは誰もわからない。今からでも人は自然と共に生きられるのだろうか。

考古学者と共に実験考古学の観点から現代に蘇らせた“野焼き”。猪風来氏自ら土器を並べ野焼きを司る。

「今や人間は地球を何度も破壊できるほどの文明を手に入れました。そのパワーを放棄しない限り、“共に生きる”という考え方も、ともすると“共に生きてやる”という人間中心の考え方に陥ってしまいます。人間は自然と平等なのではなく、“生かされている”と認識しなければならないと感じます」

 近年、世界中で発生する自然災害に私たちはあまりにも無力だ。それは決して自然はコントロールできないことを物語っている。

「多くの人にとって、縄文人は未発達な古代人というイメージがあるでしょう。確かに現代人は高度な文明を手に入れました。けれど、自然との関係における精神世界は、縄文時代が最も優れているのではないかと思います。自然のなかで生きていく。それは一歩間違えれば死ぬ時代です。1つ1つが命がけ。そのなかで自然に順応し、生きる術を培っていました」

 自然のなかで生きていくとは、大気のうごめきや四季の移ろい、餌場の変化、それらを感じながら呼吸していくこと。食べて、排出するという呼吸が、大自然の循環構造のなかにあるとき、生命は食にありつけ、生きながらえる。かつて私たちは、 その循環のなかに身を置き、いかに生きるかを知っていた。自然を食い尽くさんばかりに膨張してしまった今、私たちは文明的な生活を捨て去らればならないのだろうか。猪風来は、強制は悲劇を生むという。

「私の縄文的心情は、文明を捨て“縄文に還ろう”というものです。文明が栄えれば栄えるほど、自然にダメージを与えるのは歴史的にも明らかです。けれど、何かを強制すれば、必ず悲劇をともないます。そこには征服という概念が入ってくる。同じことの繰り返しですね。強制は対立を生み、果ては戦争へと発展するものです。それは縄文の思想に反しているでしょう。人は悟ったと思っても、必ず堕落する罪深い存在ですから」

 結局は、一人ひとりがどう生きていくか。自問自答を繰り返すしかないという。

「自分がどう生きるのか。つまりどうくたばるかです。ただ一つ言えることがあるとすれば、人類には縄文という美しく悟り深い女性原理思考の精神世界の時代があったということ。それは未来に向けて精神的なエキスとして生かすことができるのではないかと思います。そして生命と魂のデザインである縄文芸術はきっと、一万年の未来を照らすはずです」

猪風来(いふうらい)
1947年広島生まれ。1976年頃に縄文土器復元を開始する。以後、縄文野焼き技法による創作縄文土器・土偶を多数制作し、全国各地で個展を開催。また2001年エクアドル、2002年スペイン、2007年フランス、2010年イギリス、2015年アメリカなど海外でも個展の開催や講演、実演指導など精力的に活動。2005年に岡山県新見市に「猪風来美術館」を開館。NHK日曜美術館に出演するなど縄文芸術の普及につとめるとともに、現在も旺盛な創作活動を続けている。
田名網敬一田名網敬一
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